耳元でやかましく鳴る時計の音でレオンは目を覚ました。 休日だというのにわざわざタイマーをかけていた自分の習慣を恨みながらも、既に覚醒してしまった脳はもう眠れない。 時間を確認してから、腕の中で呑気に寝息を立てているプリシスを見た。 最近は毎日同じベッドで寝ている。……と言っても何かいかがわしいことをしているわけではない。 なにしろ仕事やら研究やらで忙しく、そんなことをしている暇さえないのだ。 寝る時間はばらばらでゆっくりと話すことさえ少ない。
「にしても無防備すぎる……」
レオンも初めは驚いた。 いくら付き合っているとは言っても毎日一緒に寝るなんて……という驚きではない。 プリシスが積極的にスキンシップするようになったことに驚いているのだ。 レオンが抱きつけば嫌がるし、一緒に寝ようとこちらから誘えば疑いの眼差しを向けられる。 それがプリシスから申し出てくるとは。しかし理由は『寒いから一緒に寝よう』という至ってシンプルなものだったり。 どうあれ一緒に寝れるのなら嬉しいのだが、あまりの警戒心のなさに心配になり、手を出してしまいそうな本能の制御に 結構な体力を使っているのが現状だ。
そっとプリシスの前髪をかきわけるが起きる様子はない。 今までの経験上、プリシスは一度寝ると滅多なことがない限り起きない。 あんなとこやこんなとこを触ったとしても。ただバレてしまった時の怒りは相当のもので、一週間スキンシップなしの罰をくらったのも経験済み。 レオンの健康上、最も悪影響を及ぼすので避けたい。
なので気を紛らわすためにも、読書することにした。 床に置きっぱなしになっている本に手を伸ばそうとするが、あと少しで指先が触れる距離が限界だった。 仕方なく起き上がろうとするが……これがまた出来ない。今度はプリシスがしがみ付いているために動けないのだ。 無意識な力は案外強く、無理に引き剥がそうとすれば『寒い』と寝言付きで擦り寄られた。 これでは抱き締めるしかないではないか。
「いつもこうやって素直だと嬉しいんだけどね」
大人しく腕の中にプリシスがいることが嬉しい。自分だけの存在。自分だけが見ることができる表情。
常にレオンは警戒網を張り巡らせていた。ライバルを蹴落とすのはかなり疲れるのだ。 ボーマンのプリシスへのセクハラまがいの行動を阻止したり、もっとタチが悪い鈍いアシュトンを追い払うのは重労働。 プリシスは自分のものだと抱き寄せれば恥ずかしがって殴られる。だというのにクロードには人目も気にせずに抱きついているのだから、 色々な面で苦労を余儀なくされているのだ。
……本当、僕ってかなり偉い。プリシスにつく変な虫は追い払ってるし、こうやって同じベッドにいて我慢もしているな んて、これって表彰ものだよ。こんなすごい男はきっと僕ぐらいだと思う。いや、自分で言うのもあれだけど。でも本当、なんていうか……はぁ……。
「……なにぶつぶつ言ってんの?」
結局最後は溜息になったところで、プリシスが寝ぼけ眼をレオンに向けていた。 いつの間にか考えが声に出ていたようだ。何をしても起きないプリシスがどうしてこんなタイミングで目覚めるのか謎だが、 レオンは澄ました顔で愚痴を隠した。
「九九」
「朝からなにやってんの。掛け算なんて……暇人」
「僕の九九は高度なやつで99×99ぐらいまで覚えてるんだからね。まぁ、本当は本を読もうとしたら、プリシスに邪魔されたせいで仕方なくしてたんだけど」
「私が?なんかした?」
「した。僕が普段してるようなことをしてきたよ」
普段レオンがしていることと言えば、抱きつくキスする諸々のスキンシップ。 欠伸をしているプリシスに向かって、わざと溜息混じりに言うレオンは完璧にイジメモードに入っている。 起きたのならば自制心を取り払ってもかまわないはず。とことんかまってもらうためにも有利な状況を作る必要がある。
にたーっと笑いそうになるのを我慢しつつ、これからの楽しい時間を想像していたレオンだが、プリシスの反応は意外なものだった。
「そうなの?……でもレオンのこと大好きだから」
「え、え?」
「レオンが好きだから無意識だったのかも。レオンが大好きだから。嫌だった?ごめんね?」
なんだこの反応は。赤くなって恥ずかしがるプリシスを予想していたというのに見事に裏切られた。 イジメるつもりだったのに言い返されて、上目遣いで謝るという可愛い仕草に言葉を失う。 固まったレオンへ子猫のように擦り寄ってくるプリシスは……もう、危険すぎるほどの破壊力で レオンの自制心を崩していく。
「な、なんか今日のプリシスは……素直だね」
「そぉ?レオンのことはいつも好きだもん」
「じゃあ、色々やっても……」
「だから信じてる。レオンは私をゆっくりと寝かせてくれるって。寝起きを襲うよな人じゃないって」
気付けば小悪魔笑顔のプリシスの口元は勝ち誇っていて、レオンにしがみ付いたまま再び眠りに入ってしまった。 今度は違う意味で固まってしまったレオンは完全なる敗北。 こんな残酷な結果があって良いのだろうか。崩れかけた心は直らないが、手は出せない。
「僕を殺す気……?」
すやすやと気持ちよさそうに寝ているプリシスが恨めしい。高ぶった気持ちをどうにかして整えてから 心の底から大きな溜息が出た。あんな台詞を残し寝てしまうなんて卑怯だ。 この際だから怒られるのを覚悟で事を進めてしまおうと思ったが、信じているの一言で抑えられた。
レオンは分かっている。こうやって2人きりの時間があるだけで幸せなことを。すれ違いが多かった生活から出来た 些細なこの瞬間にも感謝をしなくてはいけないことを。だけど、わりきれない。
「僕もプリシスが好きだよ……でも……虚しい」
可愛そうなレオンは、せめてもと精一杯プリシスを抱きしめることしか出来ないのであった。

99×99の九九をしても時間は持て余しそうだ。
【掛け算タイム/レオンとプリシス】