※この話には過去日記で妄想した黒髪シュタインが出てきます。本来のシュタインとは違った人物になるので、ご注意ください。
軽めに叩く。コンコン――反応なし。
少し強く叩く。コンコンコン!!――反応なし。
かなり強く叩く。ガンガンガン!!――反応なし。
「誰もいないのかしら。もしかして空耳?うん、そうなのかもしれないわ。幻聴が聞こえたんだわ。この部屋には誰もいない。だって返事がないんだから」
誰に説明するまでもなく、自分自身に言い聞かせた。
しかし、ドタバタと部屋から音はするわけで、現実逃避したところで意味はないのだ。ノックに気づいていないだけだろう。
ツギハギ研究所の地下の一室。扉の前にマリーは立っていた。
研究所は基本静かだ。朝は霧が濃く爽やかとは言えないし、日当りが悪いのか日中も薄暗い。夕暮れから夜にかけては亡霊が出てきそうだし、夜になれば言うまでもなく怖い。周りに他の建物はないし、街からも多少離れているので、用事が無い限り人が近づくこともない。なので不気味なほど静かなのだ。
静かなはずだった……ここ数日を除けば。こうしている間も地味に響く音は、騒音とまではいかないものの一向に収まる気配が無い。休日も続くとなれば困りものだ。今まで意識して気に留めないようにしていたが、注意したほうがいいだろう。さすがに"あいつ"も怒るかもしれないし、何をしているのかも気がかりになってきた。
出来ることならばこのまま立ち去りたいのが本音だ。地下は足を踏み入れたくない場所。立っているだけでも鳥肌ものだ。実験室のような部屋があることは知っているが、だからこそ滅多に行くことがなかった。気軽に部屋に入って変な物を見たくないし、体験したくない。更に言えば、部屋にいるであろう相手が何者なのか……はっきりと分かっているようで、分からないのだ。そんな未開の地に、飲みかけの珈琲を残してまで訪れる必要はあるのだろうか。きっと無いと思う。だけど、来てしまった。
マリーは深く深呼吸してから、緊張の赴きで扉を押し……作業に没頭している人物に話しかけた。
「……ちょっと失礼するわよ」
「……」
「あの、悪いんだけどもう少し静かにやってもらえないかしら?」
「……」
「聞こえてる?」
「……」
「ねぇ!聞こえてる!?」
「……え?」
やっと反応を返してきた人物は、マリーの姿を見て驚いた顔をした。
「あれ、マリー?どうしたの?こんなところに来て」
「来たくて来たわけじゃないんだけど……どうにかならないかしら?」
「どうにかって?」
「もうちょっと静かにできない?それにこの部屋散らかりすぎじゃ……」
部屋は足の踏み場もないぐらいさんざんな風景になっていた。壁の左右には無機質なスチールラックが並べられて、色々なものが置いてある。本当に色々なものだ。確認できるだけでも、半透明な液体に何かが漬かった瓶や使用方法をあまり考えたくない器具に、フラスコやビーカーに入っている妙に蛍光色の強い液体。床にも似たようなモノたちが無造作に置かれていたり、転がっていたり。
これだけでも充分気味悪いが、蛍光灯の一部が今にも切れるようで、ちかちかとまばらに点灯するのが、より一層不気味だった。
そんな部屋で大量に積み上げられた本の山の中から、ひょっこりと顔を出したのが、マリーが注意しに来た人物だ。マリーのパートナーであるシュタイン。
シュタイン。シュタイン。シュタイン。確かにシュタイン。
しかし、果たして目の前のこいつをシュタインと呼んでいいのか非常に悩むところだった。姿形はよく知るパートナーなのだが、大きく違うところもある。きっと一番分かりやすいのが、髪の毛の色が曇った空色の薄いグレーから、雨雲が立ちこめた真っ黒になっていることだろうが、はっきり言ってどうでもいい。そんな些細なことはどうでもいい。
奴の笑顔を前にすれば、奴の温かみ溢れる笑顔を前にすれば、奴の一目惚れしてしまいそうな優しい笑顔を前にすれば……自分のいつの日か訪れるであろうことを願う結婚のことすら、どうでもよくなるような。
そう。驚く無かれ。シュタインが笑っているのだ。いつものへらへらではなく。微笑んでいると表現したほうがぴったりするような笑顔で。
まず、どこから説明すべきなのか迷うところだが、そもそも何を説明すればいいのか分からない。とりあえず理解している、いないは別として現状だけを話せば、シュタインが二人いるのだ。いつものシュタインともう一人。まさに目の前で微笑む人物。
初めは髪を染めたシュタインがからかって来たのかと思った。らしくない笑顔を浮かべて、動揺するマリーを見て、内心ほくそ笑んでいるのではないかと。シュタインならば欺くための演技も出来るに違いない。
しかしだ、疑いたくともそこにいつものシュタインも現れたとなれば、いくら眼帯をしていて右目だけしか見えないとしても、事実は否定できない。しかも、当の本人たちは『格闘ゲームで同じキャラを選ぶと色が変わるとかあるでしょ?そんなノリなんじゃない?』なんて適当な説明で自己完結しているのだ。
そして何事もなく日常生活を過ごしているのだから、シュタイン二人と暮らすことになったマリーとしてはとても微妙な立場なのだった。本当に、とても微妙な。
「あぁ!すまない!君の迷惑も考えないで……」
「わ、私はいいけど、あっちのシュタインが怒るかもしれないし……」
「そうだよね。本当にすまなかった。ついつい夢中になって」
ぞぞぞぞっ!と背中に寒気が走った。この素直な態度。これがあのシュタインだとは。
死武専に行った時もかなりの反響があった。生徒たちはただ物珍しく二人のシュタインを見ていただけだが、学生のころからシュタインを知る人たちは、誰もが驚きを通り越して奇妙な表情をしていたものだ。
特に酷かったのは言うまでもなく元パートナーであるスピリット。ニコちゃんと笑うシュタインを目にしたとたんに、ガチガチ歯を鳴らして恐怖で腰を抜かしたほどだ。大袈裟な反応にも思えるが、その気持ちはマリーにも分かる。むしろシュタインの被害を一番に受けているスピリットはとても正常な反応だろう。
だから、慌てて謝るシュタインの姿はとても異様で、マリーはとっさに質問した。
「そ、それより!こんなにまでしてなにしてるの?」
「あ、うん。この際だから色々と整理しようと思ったんだ。色々なものがあるから、あっちの俺も半分放置してるぐらいだ。マリーもあまり地下には降りたがらなかっただろ?」
「……そうね。なにがあるか分からないし」
「だから、あっちの俺が死神様に呼ばれて死武専に行ってる間に片付けておこうと思って。俺も驚いてるんだ。まさかここまで物騒なものばかりあるとは。でも、全部が全部、危ないってわけじゃないんだよ。使い方次第でね。これも一見すれば不気味に見えるかもしれないけど、ちゃんと物を知れば……」
部屋をどうにかしてくれるのならば有難いが、埃まみれになりながらも楽しそうなシュタインの様子からして、興味はかなりあるのだろう。申し訳ないことに説明は頭に入ってこないが、子供が自慢のオモチャを披露するかのように、きらきらと目を輝かせている姿は、微笑ましくもある。やはり本質的なところは同じようだ。
「危ないって言いながらも興味津々ね」
「あはは。そこは確かに否定できないな。でも君に迷惑をかけてまで残しておくものではないから。きちんと処分しておくよ。今のままじゃ、君を気がるに部屋に入れることなんて出来ないし」
強い探究心は同じ。きっとそのためには、ネジを刺したように自分をも犠牲にするのだろう。しかし、黒髪のシュタインは自分の欲望だけに従っているわけではない。先輩を勝手に実験に使ったり、天然記念物の動物を解体しようとはしない。あくまでも他に関しては常識の範囲で。物騒なことも言わないし、しない。他人をまず優先にしている。
ここもあちらのシュタインとの違いだ。だからか、肝心なところで少し抜けているようだ。
「部屋に入れることは出来ないって……私もう部屋に入ってるじゃない」
「……あぁ!!しまった……!!」
「うふふ。あなたって面白い。あいつとは違って、ちょっと抜けてるところがあるのね」
「面目ない……恥ずかしながら、俺もそう思う。忘れっぽいというか、どこか抜けてるみたいなんだ」
困ったように笑って頭をかくシュタインに、マリーも笑顔を浮かべた。
こんな穏やかな談笑がかつてあっただろうか。和やかなムードになったことがかつてあっただろうか。
「あなたのそんなところ、私は好きよ?」
「……ありがとう。君にそう言ってもらえると嬉しいよ」
変な意味ではなくて、素直に思ったことを言った。
突然現れたせいで、色々と混乱していたし、今までシュタインにされた仕打ちを考えれば、いくら善良な人だとしても警戒してしまう。しばらくは距離を置いて様子を見ようと思っていたのだが、杞憂に終わったようだ。偏見を持ってはいけない。このシュタインは悪い人ではない。お茶を飲みながら話をしてみよう。
警戒心はすっかりと消えて、マリーはラックに寄りかかった。そこにあったから、少し肩で寄りかかり体重をかけただけ。ただそれだけの動作だった。しかし、それが引き金で……頭に何かが落ちてきて、事態は一変する。
「……なに?」
堅いものではなくて、雨のような液体のもの。正体を確かめる前に、それは肩にも落ちてきて、ブラウスから除く鎖骨の辺りにも点々と、しかし雨粒のような小さなものではなくて。
嫌な予感がする。嫌な予感しかしない。違う。予感ではなくて確信した。もしかして、もしかしなくても……。
恐る恐るマリーが顔を上げると同時に、なんとそれは額までにも、べちょりと落ちてきて……血の気が引いた。一瞬息が止まって、声にならない悲鳴が漏れた。
「……っ!!??」
ラックの上部に置いてあった瓶が倒れて、中身がマリーへと垂れてきたのだ。
バラバラにすることが趣味のシュタインの部屋にあったものなのだから、無害なわけがない。どろどろした気持ち悪い感触から水の類ではないのは分かる。一度付着したらなかなか取れないような粘り気もある。食べ物で例えるなら蜂蜜のような感じだ。だが、蜂蜜なんてクマさんが喜ぶような甘いもののはずがない。
考えたところで答えなど出ないのに、考えずにはいられない。皮膚が溶けるとか、火傷みたいに爛れるとか、お嫁にいけない身体になったらどうしようとか、そうなったら責任をとってくれるのかとか、責任をとってもらっても、それはそれで不安が残るとか……諸々の感情がマリーをどんどん飲み込んでいく。
「大変だ!!」
積み重ねた本が崩れ落ちるのも構わず、並べてあるビーカーが床に砕け散るのも構わず、とにかく周囲のことなど一切無視して駆け寄ってきたシュタインが、問答無用でマリーの顔を白衣の袖で拭き始めた。
「むぐ」
「じっとしてて!」
眼帯が外れそうになるし、化粧が落ちるので止めて欲しいのに、乱暴に顔をごしごしとしてくる。
「むーー!!」
「何の液体か分からないから、ちゃんと拭かないと!」
片手で顎を持ち上げられているせいで、無理に上を向くような体制になり、首も痛い。
「んぐっ、」
「よし、顔のはちゃんと取れたかな」
「ちょ、ちょっと!シュタイン……」
「マリー……」
「な、なによ」
やっと抗議できるかと思えば、シュタインの顔を見て、思わず押し黙ってしまう。
眉を寄せるシュタインは苦痛の決断を強いられているかのようで逡巡している。しかし、すぐに意を決したように頷くと、申し訳なさそうにそれでいて真剣な表情で『ごめんね』と一言告げて……シュタインの手が、首筋から鎖骨を通って、躊躇無く、ブラウスの中に、あっさりと、ずぼっと、突っ込まれた。
「……」
何事なの!?なんなの!?何してるの!?一体、なんのつもりなの!?と頭の中の混乱とは裏腹に、実際は言葉一つ出てこないマリーの上半身をシュタインの手が這う。手と言っても、直接肌に触れているのは布で、白衣の裾を引っ張って身体を拭いていた。
堂々とブラウスのボタンも外されて、むき出しになった肩も痛いほど擦られる。おかげでブラの肩紐もずり落ちて、心なし胸元が緩い。それがまたとてつもなく嫌なことが起こるフラグを立てており、現実になってしまうのだ。
同じく無遠慮にブラの中にまでシュタインの手が入ってきたのは、むしろ予想の範疇と言うべきことなのだろうが、驚かずにはいられない。
あまりにも唐突に事が進行しているせいで、マリーはすっかりと置いてきぼりをくらっていた。
「ひっ、あ……」
「駄目だよ!動かないで!」
無茶苦茶なことをして、無茶苦茶な要求をしてくる。
分かっている。シュタインはただ助けようとしてくれているだけなのだ。マリーにかかった正体不明の液体を一刻も早く拭き取ろうとしてくれているだけなのだ。だからマリーの胸元をまさぐっていたとしても、これは人命救助。つまりは心臓マッサージをしているのと同じ。溺れかかったマリーをシュタインが助けてくれて、心臓マッサージをしてくれている……そうでも思わないと、頭が爆発しそうだった。
しかし、頑張って言い聞かせてみるも、簡単に脳は受け入れてくれない。
「ひゃう……あぁ、」
「マリー!じっとして!!」
「あぅ、だっ、て……そ、んな」
じっとしてようにも身体が勝手に動いてしまうのだ。直接胸に触れているわけではないにしろ、たった一枚の布越しで触れている大きな掌を意識するなと言うのは無理だ。拭くという行為ではなくて、揉まれているように感じるのも、仕方がないことではないだろうか。一心不乱に身体を拭かれることなんて初めてで、シュタインの腕から逃れようと身をよじってしまう。
いくら相手がパートナーであるシュタインだからと言っても意識しないわけが……否、逆だ。シュタインだからこそ意識してしまうのか。しかしこのシュタインは本来のシュタインではない。だがそれでもシュタインには変わりはないわけで、かと言って性格がまったく違うこいつをあいつと同じ扱いにするのは失礼だと思ったばかりで、でもシュタインはシュタインで……もう、なにがなんだか分からなくなってきた。
本来ならば『変態!』とぶん殴って引き剥がせばいいのだろうが、目の前のシュタインが必死に一生懸命に、ただマリーを心配してくれているのが分かるから、伝わってくるから、だから殴ることなんて出来なかった。力任せに振り払うことなんて出来なかった。
今までシュタインがこんなにも必死になってくれたのを見たことがない――顔に出していないだけなのかもしれないが――だから……正直言って、嬉しかった。状況はどうであれ、自分のためにこんなにも必死になってくれるシュタインを見て、素直に嬉しいと思った。
それでもやはり身体の反応は止められないのだが、半ばパニック状態になっているシュタインはすでにいっぱいいっぱいのようで、数分後にやっとマリーは妙な疼きから解放された。
「これで大丈夫なはず……!どこか痛いとこはない!?」
「な、ない」
「どこか変な感じがするとこは?なにか違和感はない?」
「え、あ、だ、大丈夫」
「本当に!?無理してない!?ちゃんといつもどおり?」
むき出しの肩に両手を置いて、まくし立てるように確認してくるシュタインに、放心状態だったマリーは、なんとか頷き返す。強く擦られたせいで肌がひりひりする以外は、身体に異常があるわけではなかった。
「だ、大丈夫!いつも通りよ!」
この乱れた格好を除けば、と言うことは心に留めて。
マリーがしっかりと頷いたのを見て、シュタインはやっと表情を緩めた。
「そっか……あーー、良かったぁ……」
心の底から出たのが分かる安堵の溜息をついて、そしてマリーを凝視する。
まだ何かあるのかと不安になってくるマリーだったが、次第に赤くなっていくシュタインの顔を見て唖然となった。
「う、あ、お、俺は、なんてことを……!君に、こんなこと、するつもりは……本当に、すまない!」
今になって自分がしたことを理解したのか、弾かれたように離れたシュタインは顔を真っ赤にしていた。
ここまでしておいて何を今更恥ずかしがっている。そもそも恥ずかしがるのは胸をさらけ出しているマリーの立場のはずなのだが……シュタインのこんな初々しい反応に驚いてしまう。
シュタインは顔を背けながらも、なんとか自分の着ていた白衣をマリーの肩にかけて、しっかりと胸元を閉じた。それでもまだ恥ずかしいのか、してしまったことへの罪悪感なのか、視線をややさ迷わせてから遠慮がちにマリーを見た。またその表情が可愛く頬を染めているものだから、マリーもつられて恥ずかしくなってしまう。
「本当に、すまない。なんて謝ればいいのか……」
「だ、大丈夫、うん、その、何が大丈夫か分からないけど、でも、大丈夫だから」
「……」
「……」
「あの、マリー……」
「わ、私シャワー浴びてくる!そのほうがいいでしょ!?いいわよね!?うん。それがいい!!」
「あ、ま、待って……」
呼び止められたのを振り切って、マリーは逃げるように部屋から出た。
階段を駆け上がって、勢いのままバスルームに入る。そして叩きつけるように閉めた扉に寄りかかると、そのまま滑って床に座り込んだ。少し痛みが残る両肩を抱いて、膝に顔を埋めて、一息つくと……じわじわと恥ずかしさがこみ上げてきた。
「〜〜っ、!!は、恥ずかしい……!!」
鮮明に残っている記憶を消去するのは、越える衝撃的なことがないと無理だろうが、そんな新たな体験もしたくないので、なんとかして忘れる努力をしよう。記憶から抹消しよう。無かったことにしよう。何もなかった。何も起きなかった。シュタインに身体を拭いてもらうこともなかったし、シュタインの頬を染める顔も見ていない。
やはりあのシュタインは別人だ。優しく笑うあのシュタインは、マリーが昔から知るシュタインとはまったくの別人。良い人ではあるが……一体、これからどんな顔をして会えばいいのだろうか。こんな状態では元のシュタインの顔もまともに見ることが出来ない。
「あーー!!どうしようもないけど、でもどうしよう!!」
困ったことになった。
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大きな白衣を着たまま慌てて走り去っていくマリーを見送ったシュタインは、入れ替わるように部屋に入った。
自分にとっては慣れた地下室には、髪の色は黒いが自分とよく似た奴が一人。そいつはシュタインが部屋に入ってくるのを待っていたかのように、話しかけてきた。
「黙って見ててくれたんだ?」
「……別に。あのまま続けるようだったら、さすがに部屋に入ったけど」
「止めるつもりだった?」
「まさか。一緒に混ぜてもらうつもりだった」
「絶対にマリーは嫌がると思うけどね」
「だからこそでしょ?」
「あはは。さすがドエスと言われるだけあるね。俺にはとても真似できそうにないなぁ」
そう言って黒髪の自分が穏やかに嗤う。
サディストなのは否定しないが、それはお互い様だ。なにせシュタインは、あんなところに"こんなもの"を置いた記憶は無いのだから。床に飛び散っていた液体を確認して、なんとも言えない嗤いが込み上げてくる。
『何の液体か分からない』なんてよく言えたものだ。
悟られず警戒もされず触れる手段は、準備から抜かりなく、用意周到で……だからこそ、厭らしく性質が悪い。
同じはずの本性を隠して、違う自分を作り上げるのは今後のため。そしてマリーの警戒心を解いた。事実を知らぬマリーは良い人と認識して、笑顔に騙された。
「俺こそ君の真似は出来そうにないね。たかが蜂蜜がかかっただけで、あんなに必死になれる演技力には恐れ入るよ」
「……さぁ?なんのことやら」
殺意すら感じる視線を互いにぶつけ合って、そして"へらへら"と嗤う二人の声が、静かに響いた。
【リクエスト 黒シュタ×マリー 純黒のblack×dark/黒シュタインとマリー】