求めれば彼女はいつでも受け入れてくれたから。拒絶されて当たり前のことでも、なぜか彼女は応じてくれたから。シュタイン自身、知らぬうちに彼女に救われていた。 下手をすれば彼女が怪我を負いかねないような状況でも、優しく笑ってくれた。そんな彼女を泣かせるようなこともしたけど、やっぱり最後はそっと笑いかけてくれた。
それが癒しの波長という能力の効果……?そうではない。これは彼女自身が持つ優しさ。きっと能力がなくとも同じことだったろう。甘えていたのかもしれない。だから、ただ単に興味があるから、試してみたいから……そんな理由だから、睨みつけられるのは分かっていた。

殺風景な自室。天井近くに小さなガラスが張り付けてあるだけで、他に窓と呼べるようなものはない封鎖的空間。あるのはロッカー一つと中央にベッド。そのベッドに横たわっている――いや、たった今、勢いよく飛び起きたので、正しくは横たわっていた――のがパートナーであるマリーだ。
いつでも動けるように片膝を立てて身を低くし、視線のみを周囲に向けて状況を確認しているマリーは、"飛び起きた"と表現するにふさわしい、見事までの目覚めを披露してくれた。
普段と言えば半分眠ったまま、だらしない顔でキッチンで朝食の準備をしている。共に目覚める数少ない朝ですら、素直に起きることはなかった。『あと5分』という台詞を計30分は聞くはめになる。哀れな目覚まし時計は20分早く鳴るように設定され、けたたましい音を立てて仕事をしているというのに、気づけば粉砕するものに叩き潰されて機能を完全に停止しているのである。本人も認めるほどの寝起きの悪さだ。
だから、敵地のど真ん中にいるかのような緊張感漂う動作は、別人かと思うほど、普段の様子からはなかなか想像が出来ない。さすがデスサイズスとしての経験も踏まえているのだろう。
それに、あながちマリーの警戒態勢も間違いではないのだ。 なにせ、シュタインがマリーが警戒すべき事態を作り出している最中なのだから。
「やぁ」
キイキイと音を立てて、キャスター付きの椅子を一歩分前に移動させた。背もたれを前に寄りかかっているせいでバランスは多少悪いが、シュタインにとっては慣れたものだ。軽く手を上げて挨拶する。
暗闇に目が慣れないうちは何も見えないはずなのに、マリーの右目はまっすぐにシュタインに向けられていた。手はパジャマの上から腹部を抑えている。
「ごめんね?手加減したつもりなんだけど、まだ痛む?」
やはり痛みは残るようだ。
これはまだ30分も遡らない出来事。キッチンに出て来たマリーは、肩にタオルをかけたパジャマ姿だった。シャワー上がりで濡れたままの髪をタオルで拭きながらも、冷蔵庫を開けて迷わず缶ビールを手にする。酒好きのマリーは、ほぼ毎日一本は飲んでいるのだ。そんなマリーに近づいて――
『ん?なぁに?あ、シュタインも飲みたいのなら、冷蔵庫に入っ……て、……あ、え?』
――どすりと鳩尾に拳を見舞った。もちろんかなり手加減はしていたが、意識を奪う威力は必要だったのだ。
そして、困惑した表情を浮かべたものの、すぐに意識を手放したマリーを部屋に連れ込んだ。
「痛いに決まってるでしょ……最っ低よ」
「……」
「こんなことしといて。最低最悪っ」
刺々しい声とぶれることのない視線。怒るのはごもっとも。むしろ怒ってくれて良かった。状況的に考えても罪状が付きつけられそうなことをしているのだから、逆に泣きだされてもおかしくないのだが……こんなことで泣かせたくない。こんな些細なことに恐怖を感じて泣くなんて退屈すぎる。
マリーとは学生時代からの付き合いで、時を経てパートナーとなり、気づけばマリーが最も近くにいる存在になっていた。どんな時でも受け入れてくれたマリーが、どんな時でも笑いかけてくれたマリーが、批難の言葉を投げつけてくる。拒絶して、睨みつけてくる。ほんの少し苛立ちを覚えるものの、なんとも言えない胸の高鳴りを感じた。
楽しい。そう、楽しいんだ。面白い。楽しい。
シュタインを突き動かすものは探究心。興味と関心。一緒に暮らすようになってさまざまな面を知ったように思えていたマリーの、初めて見せる反抗的な態度。ぞわりと背筋が疼いた。
これが久しく忘れていた楽しいという感情なのが、サディストと言われるシュタインならでは。何か物足りないと思っていたのはこれだったのだ。抵抗されればねじ伏せてやりたい。拒絶されれば中から切り開いてやりたい。
狂気が及んでいない正常なはずの脳が判断するのは、ただの欲望。
「私になにをしたの?」
「何って?」
シュタインのおかしな行動に慣れているはずのマリーが、苛立ちの声を上げる。
「いきなり人を襲っておいて、しらばっくれないで!!」
確かに、シュタインとて目的も無くしているわけではない。気絶させたのには理由がある。と言っても、褒められるような理由ではないことは明らかなので、シュタインはわざとらしく首をかしげた。
「したけど聞かないほうがいいと思うよ?」
「聞かないほうがよっぽと怖いわ!無理にでも吐かせるわよ!」
「……薬を飲ませた」
あっさりとシュタインは答えた。
「……え?なに?……く、すり?」
「そ。薬」
「なんで……?」
「ん?最近のマリーが疲れてそうだったから、ちょっとリラックスさせてあげようかと」
「……」
対してマリーは言葉が途切れる。
薬って何の薬?どんな作用があるの?安全なもの?身体に害はないの?分からない。分からない。シュタインが何を考えているのか分からない――
マリーの考えていることは筒抜けだ。弱みを見せまいと表情は変えぬものの、動揺しているのは明らか。はっと我に返って怒鳴たところで、誤魔化せるはずもない。
「し、信じられない!!あんた、薬って!なんで勝手に飲ませるのよ!!」
「だって気絶でもさせなきゃ素直に飲まないでしょう」
「な……一体、何を飲ませたのよ!薬ってど……ん……な……?」
これはあくまでも突発的な行動なので、食事や飲み物に混ぜるような準備はしていない。強引に飲ませるのは面倒だし、そのために気絶させたのだから。
薬と一言で言っても種類は膨大だ。医者に処方してもらうものもあれば、スーパーで売っている市販薬もある。値段だってさまざまだ。ちょっとしたビタミン剤だって薬に分類される。
しかし、シュタインがマリーに飲ませたのは世界でただ一つの薬。
「さすがマリー、察しがいい。あ、この場合、感じやすいって言ったほうがいいかな?」
「ま、まさか、薬って……」
言うまでも無く、シュタインが自ら作った薬……それは惚れ薬とも称される媚薬。
死武専の図書館にはこんな危ない薬の調合方法も残されているのだ。一部の関係者しか閲覧出来ない特殊な本だが、シュタインは死武専教師であり、誰もが認める職人だ。制限など掛っているはずもない。
暇つぶしで読んだ本に載っていた方法を、ほぼオリジナルの材料で、暇つぶし程度に作ったもの。後遺症は残らぬように考慮したが、効果はやや高め。作り終えてみれば、その効果を試したくなり……こんなことをしている。せっかく作ったのだから試してみたい。ただそれだけ。単純な興味本位。
それがマリーには見抜かれている。おもちゃにされていることを。
だから、マリーは怒っているのだ。そして、シュタインはそれを知りながらも、止めようとはしない。知っているからこそ、止めようとはしない。
「いいタイミングで効いてるねー」
「んなわけ、ない!私は、全然、なんでも、ない……っ嘘言わないで!信じな……!」
「信じなくてもいいけど、君はいま実体験しているんじゃない?」
嘘だと思っていてもいい。信じなくてもいい。しかし、事実であることは本人が一番よく分かっているはず。
それにこれから存分に思い知らせるのだ。
「……っ、私に、ど……し、ろって……ん、言うのよ……」
「うん?そーだなーー……」
わざと考えるような素振りをするが、求めているものなんて、マリーが拒絶したときから決まっているのだ。
俺を拒むことは許さないよ。マリーだけは許さないよ。
「俺はここで見てるよ」
「……は?」
「君の様子を見てる。だって、もう我慢するのも辛いでしょ?」
即効性の薬だ。一時的だが、その分効果は充分すぎるくらいにある。すでにシーツの下に隠れているマリーの下着は、その影響で濡れているだろう。はっきりと見えないはずなのに、マリーの身体が震えていることは、だんだんと荒くなっている息遣いから判断できた。座っているだけで、全速力したかのような激しい呼吸。漏れる声を必死に我慢して、シーツを握りしめて耐えている姿。
うーん。これは思っていたよりも効きすぎているかもしれないなぁ。効き始めの時間はちょうと良かったんだけど。
観察しながらも、なんの成分を減らせばタイミングは遅らせることなく効果だけを落とせるのか、色々と考えてみる。成分の問題ではなくて、マリーの感じやすい体質が影響しているのかもしれない。
だから、聞かないほうがいいと言ったのだ。病は気からと言うが、こういう薬は意識し出すとより効果を高める。ある意味鈍感で、ある意味敏感なマリーは薬の存在を知らなければ、もしかしたら身体は反応しなかったかもしれない。
まーなんにしろ、薬のことは言うつもりだったからいいけど。
マリー以外の人に試すつもりなんて微塵もないので、しっかりと効果を確かめておきたい。
「あれ?我慢しなくていいんだよ?」
「……だ、から、って……できるわけ……」
「なんで?マリー、自分でしたりしないの?自分でもすることあるでしょ?」
「っ……!!」
マリーが自慰行為をしているかなんて、考えたことも無かったが……否定しないところを見れば覚えはあるようだ。誰だって性欲は溜まるものなのだから、そんなに恥じるものでもないと思う。
「俺のこと考えながらしてるんじゃないの?」
「ち、違う、……!!」
今度は思い切り否定された。
マリーは本当に分かりやすい。嘘をつくのが下手だ。そんな必死な顔で否定しながらも、右目は正直だった。大きく見開かれた瞳が動揺を表すように揺れている。
「違うの?俺はマリーのこと考えてするけど、どう思う?気持ち悪いと思う?」
「え……あ、そ、……」
「俺が他の子のこと思いながらやってもいいの?どう思う?」
「そ、んなの……っ、ふ、わから、な……」
答えられないのを分かっていて、畳みかけるように問質す。駄々をこねる子供のようにいやいやと首を振るマリーは泣いていた。小さなマリーが更に小さく、弱々しく見える。
ただ問題なのが、その涙が恐怖から溢れ出るものではないことだ。生理的に流れているだけにすぎない涙は逆効果で、かえってシュタインを増長させるだけになる。
「ねぇ、どう思う?」
「わか……ない、でも、わたし、出来な……」
「違うでしょ?出来ないんじゃない。したくないだけ。したいけど、したくないだけ」
マリーは多くの異性と付き合っておきながらも頻繁に振られたせいか、シュタインが初めてだったというぐらい経験が浅い。だと言うのに、そんなマリーに結構な仕打ちをした自覚はある。
狂気が進行するのを振り払うように彼女を抱いた時の記憶はあまり鮮明ではないが、抵抗するわけでもないのに縛り付けたり、視界を遮ったり……比べれば、今はマシな状況なはずだ。
今日の俺はすっごく優しいと思う。
「マリー……」
「ひっ……」
椅子に座ったまま、まっすぐにマリーを見詰める。
二人の距離は二メートルほど。しかし、マリーは視線から逃れるようにベッドの上を後ずさった。
「我慢しても無駄。ムズムズするでしょ?」
「っ……ふ、ぅ」
自分自身の腕を抱いて必死に抵抗しているが、まだまだ甘い。本気で拒絶しているようには到底見えなかった。もし、本当に嫌なのならば能力を使ってでも逃げ出そうとするはずだ。唇を噛んで声を押し殺し、不利な状況なのに頑張って睨みつけて……そんな可愛らしい抵抗は、むしろ期待しているようにしか見えない。
嘘だとか信じないとか言いながらも期待してる?もっと本気で嫌がってみせてよ。もっと楽しくなる。もっと虐めたくなる。
マリーはシュタインの狂気を鎮めることが出来るのに、狂気に近い感情をときたま思い出させるのだ。その激しい差が一つになった時……狂気から戻ってこれなくなるだろう。それでも、マリーはきっと助け出そうとしてくれると、こんな時ですら思えるのだから……大切にしなければ。狂気は破壊を促すが、壊してはいけない。壊しても壊れてもおもしろくない。
「マリー……」
「や……や、だ」
「……マリィ……?」
本当に嫌なの?嫌じゃないでしょ?口に出して言わずとも呼びかけの中に言葉を混ぜて。
シュタインは手は出さない。じわじわと追い詰めて、受け入れさせる。それまでは手は出さない。
本音を言えば、シュタイン自身もかなり興奮状態なのだ。マリーのこんな姿を見て平然でいられるほど、性を捨てていない。ただ、疑う余地すら見せずに隠しているだけで……それに、まだ先は永い。とても永い。
だから手は出さない。マリーから求めてくるまでは触れない。マリーが懇願してくるまでは触れてあげない。
シュタインの足がコンクリートを軽く蹴った。椅子がまた一歩分前に進み、ベッドの淵にぶつかる。暗い部屋の小さなガラスから差し込む唯一の光が、その表情を浮かび上がらせた。
「大丈夫だよ」
「あ……」
シュタインは笑う。それは優しい笑み。マリーを安心させるように、優しく作り笑う。
「……辛いね。怖がらなくて大丈夫」
「っ……しゅた、いん……」
ぽろぽろと涙を流すマリーに、優しく声をかける。
「怖がらないで。大丈夫だよ。大丈夫。だから、自分でしてみて……?」
俺を満足させるおもちゃになって楽しませて?
シュタインとマリーの永い永い時間の始まりだ。

【リクエスト 博士に言葉攻めされるマリー/Dr. Sの玩弄物/シュタインとマリー】
マリー先生も強いお(;゚д゚)ゴクリ…